蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

野生の勘の拡張

前にも書いたけど、睡眠中に地震があると発生の2秒前には目が覚めるという謎の能力を私は持っている。

目が覚めるだけでそれ以上は何もできないので、はっきり言って意味の無い能力だ。避難もできないし覚悟もできない。寝ぼけ眼で「地震だ~……」と思うだけでまた夢の続きへ堕ちていく。

たぶん野生の勘というやつで、おそらく第六感と言われているもので、スーパーナチュラルなチカラの片鱗が反応しているのだろう。

 

片鱗、あるいは残骸。

 

こういった勘はよくあたる。

 

他にも、たとえば懸賞や抽選で結果発表を待つ間、外れる予感はよくあたる。

それは言語化もできないような、ほんのわずかな電流にも似た直覚である。心の深いところ、触れもしないほど遠い場所から「だめだ」という雰囲気、匂いのようなものが漂ってくる。

その香りを知覚すると、頭の表の側で「今回は外れそうだ」と言語化され、私の表の意識に流れ込んでくる。

だが、外れてほしくないので、私はあえて「いや~今回はダメそうだな」などと言葉に出さないようにしている。言霊があって、引きよせてしまうから。「いや~今回はちょっと難しいかもわからんね。競争率も高そうだし」とちょっと濁しておく。「決して外れるとは限りませんよ」なんて予防線を張っておくのだ。

だが、心の深いところではもうわかっている。

今回はダメなのだと。

 

私が覚えている限り、この「外れ」の予感を外したことはない。

そう思ったら最後、願いが叶うことはないのだ。

逆に抽選が当たる時は、「外れたらどうしよう」とか「当たりますように」などとも思わないものだ。「当たって当然のもの」と強い確たる自信があるから。まるで未来が見えているかのように心がブレない。もはや結果なんてどうでもよいとすら思っている。なぜなら外れるわけがないから。

外れそうなときほどクヨクヨ悩んだりため息をついている。

少しでも疑念を抱いてしまったら敗けなのだ。

 

言葉は野生の勘の小さな電流を踏みにじりかねないほど強力な力を持っているから、外れそうだろうが当たりそうだろうが言葉にはしない。

言葉は堅くて角ばっていて重くて黒い。やわらかい餅のような勘の電流を圧し潰して、なんというか事実をなかったことにしてしまうような気がしてしまうのだ。

この野生の勘を拡張して鍛えればもっと何かに使えそうな気もするけど、それは意識の言語化に違いなくて危険だ。こういった自然のものには余計な手を加えず、遠くから見ているくらいが丁度良い。

 

私は私の勘を信じている。

誰しも野生の勘というものがあって、みんなもそれを信じた方が良い。理屈じゃないものだから欲望(言語化された意識の表層)とすり合わせて折り合いをつけるのが難しいこともあるだろうけど、自分の中で何かが反応したならそれに従った方が良い。

その方が言葉で説明して自分を納得させるよりも、結果をうまく飲み込める気がするのだ。