蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

私はロボットではありません?

「私はロボットではありません」にチェックを入れるとき、モヤモヤする。

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はたして本当にロボットではないのだろうか?

「次の中から信号機をすべて選んでください」でタイルの中から信号機を選べなかったとき、もしかして自分はロボットなのかもしれないと不安になる。

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ぼくが人間でないのなら、はっきりそう言ってほしい。

ロボットにはロボットの生き方があるし、これまでおかしいな世間とズレてるなと思っていたことにも納得ができる気がする。ぼくは自分をロボットであると認めることで、人生を次のステージへ進められるのだ。

でも、「私はロボットではありません」の文言がヒンズー語表記でもなければ間違いなくチェックを入れることができるし、信号機を選べなかったとしてもスキップして次に表示された画面からすべてのバイクを選ぶことができる。ぐにゃぐにゃに歪んだ文字を読み取って正しく入力もできる。

そうしてぼくはセキュリティ認証をパスして店舗予約を入れたり、ソフトウェアのアクティベートをするのだ。セキュリティ認証をパスすることが目的ではないことを思い出したように、その画面が消えてしまうことを恐れるように、いそいそと必要情報をサーバーに送る。

ぼくはロボットではないみたいだ。

ただ、ぼくが「私はロボットではありません」にチェックを入れるときに──画像を選び、歪んだ文字を読み取るときに──モヤモヤしてしまう。

なぜならそこにチェックを入れることでしか自分を人間であると証明できないような気がしているからだ。

そこにチェックを入れることや歪んだ文字を読めることが人間である証明ならそれはなんだか、悲しい。ジョー山中もこれが「人間の証明」になるとは思わなかっただろう。

 

なんにでも意味を見出そうとする時代は息苦しい。

なんにでも価値を求めようとする時代は貧しさの裏返しだ。

そんな時代にあっては、明確な目的をもって生まれ、生産工程と実働工数で価値を計れるロボットになった方が生きやすいのかもしれない。

ただ存在するだけでは人間の証明にならないのなら。