蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

9月15日の私へ

の記事は、9月15日の自分に向けて書いている。過去の自分からの手紙だと思ってほしい。

 

9月15日は退職日だ。

私は嫌だった仕事を辞めて、10月から新しい仕事へ転職する。

転職活動はつらくて、一憂の重さが新卒のときとは比べものにならず、それだけ真剣になれたということだったけれどもずっとしんどくて、しんどかった。簡単なことなんてなかったし、勇気が必要な場面はいくつもあった。

転職活動自体のつらさもあったし、今の仕事自体のつらさもあった。

仕事中に意識せず涙がこぼれることもあった。

あの頃日中は食事が喉を通らなかったので朝と昼を抜いていたら用意に3キロ痩せた。

こんなことなら転職活動なんてヤメて、今の会社で自分に折り合いをつけて、なんとなく生きていくのもいいじゃないかと毎晩のように思った。

でも、どうしても、それはできそうになかった。

人生は一度しかなく、失敗はできず、一度のしくじりは生涯に深い傷を残すだろうことなんて知っているけど、それはたぶん、転職しないで今のまま今の仕事を続けていく未来に起こりうる最悪な状況だと思えたのだ。

ほんとうの失敗とは、自分の心に嘘をついて、なにもしないで後悔することだ。

よく頑張れたと思う。

何度も自分を奮い立たせて毎朝ちゃんと起きれたのは本当に偉かった。

朝にはエントリーシートを書き、昼は仕事に行き、帰ったら企業を研究した。偉かった。よく頑張った。お前は誰よりも頑張ってた。

 

転職すると決めたとき、私は自分に誇れる仕事をしたいと願った。

次の仕事はきっと、なると思う。やりたい職種を選んだから。

私は自分を誇りたくて次へ進む。

でも、転職先が決まって、上司に話をして辞める手続きをしてから、なぜか今の仕事にもやる気が出てきて思いの外やりがいを抱くようになったのは皮肉な話で、辞めたい気持ちも不安定も一時の心持ちのせいだったのだろうかなんて思わなくもない。

それとも、退職という終わりが見えたから頑張れたのだろうか?

どっちも本当だと思う。

でも最後までイヤイヤで過ごすよりかはずっと良かった。

自分に自信をつけて次へすすめるし、私はこの職場で働いてきた自分を誇らしく思っていて、それもまた皮肉なことだけど、過去があっての今だと思える。

 

この丸3年は──違う職種になっても──まったく無駄じゃなかったと胸を張れる。

今の自分がいるのも、これからの自分があるのも、この仕事があって、この仲間と出会って、支えてもらえて、すべての過去があったからだ。

 

転職してよかったかどうかはこれからにかかってる。

でも自分でそう思い込もうとして思えるもんじゃないし、そういう方向性に持っていこうと努力をするのも違うと思ってて、仕事は仕事として取り組むべきものでいつか自然に「転職して今の仕事になってよかったな」と思えるのがいちばん良い。結句は運命とか縁に導かれるものだろう。

どうなるかはわからない。精一杯頑張るつもりだ。

ただ、私は後悔するために、転職したのではないのだ、ということを心に留めたい。

 

それにしてもよく頑張った。

えらい!

頑張った私を他の誰が愛してくれなくても、私だけは認めてあげたい。

そして認められるように、これからも頑張りたい。