「君のメールはちょっと、端的にすぎるね」と上司から指摘を受けた。
私がメールをした相手からなぜか「謝罪」の返信があったのだ。
「君のメールは、なんだかちょっと、キレてるみたいで怖い」
「僕は怒っていませんよ」
「うん。だから問題なんだよ。もっと優しげに、配慮を持って、たとえば『急かしてしまうようで申し訳ありませんが〜』とかなんかそういう、ワンクッション挟むことを意識したほうがいい」
「はい!」
「とりあえずその人には謝っといて。ワンクッション置いてね」
「わかりました!」
「返事だけはいいんだよな」
私は返信メールを書いた。
まったく怒ってないこと、むしろそういったニュアンスにも読めるメールを書いてしまって申し訳なかったこと、これから気をつけること、などを丁寧に、かつちょっと砕けた感じに書いた。
私の事務的なメールに怯えて過剰に反応されるくらいだから、懇切丁寧に書くと相手もまた恐縮して気弱な猿みたいに縮こまるかもしれない。だから多少の遊び心を入れて砕けた調子で書いた。
ただ私に落ち度があったのは確かだ。
これには言い訳だが、理由がある。
私の手癖で端的な内容のみのメールになってしまうのである。その手癖は前職で培われたものだった。
前職はITサポートデスク業務をしていた。
ここでのメール捌きは1日150件にのぼり、来るものすべてに何かしらの返信を定時までにしなければならぬというルールがあったのだ。
そして業務の性質上、ユーザーに余計な言葉遣いは不要で、端的に必要なことだけを書くことを信条としていた。そう教えられてきた。
だから今の仕事に転職して最初は、他のメンバーや取引先の砕けた調子のメールに驚いたものだった。
その癖が油断するとつい出てしまう。特に疲れているときや、すぐ次のことをしたいときなんかに。
やっぱりこれはどこまで行っても言い訳なのだ。
メールは電話と違って言葉のニュアンスが伝わりにくいし、書いてあることだけがすべてになってしまうのだから、気をつけなければいけない。
たとえば気になる子に手紙を送るような気持ちで臨むといいのだろうか。
どういった言い回しがあるかも勉強したい。
なんか本読んだほうが良さそうだな。
だいたい、このブログにしたってどこか偉そうで何様なんだという気にもなってくる。
そうなると話は変わる。
このあたりは無意識の出る部分だから、メールにしたってブログにしたってこういう性格になるということは、もう人間性が終了しているという証左になるのだ。
きっと誰からも優しくされてこなかったからこうなったのだろう。