蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

誤字は遅れてやってくる

ールや文書など、どれだけ誤字に気をつけていても、送ったあとに見つかるのはなぜなのだろう。ブログにしたってそう。投稿したあとに気づく。

今日もメールを送った直後にひどい誤字をしているのを見つけて、ひとり恥ずかしい思いをした。

誤字った場合、メールを五月雨にしてまで「これ、誤字です」と送るのもなんか変だ。内容の要が伝わっていれば大丈夫な気もするし、誤字報告のメールを送った結果、相手のメールボックスで本来のメールが埋もれてしまっては困る。

判断に困ったら「自分的にはやった方がいいと思うんだよな」という自分の中の真実に従うようにしている。

今回は「でもなんか、面白い誤字だからいっか。冒頭の飾り付けみたいな挨拶だし」と思ったので、放置して会社をあとにした。

ccに会社のアドレスを入れているから、金曜日に出社したら皆から笑われるかもしれない。

 

誤字は遅れてやってくる。

卒論を書いたときも、いくら見直しても誤字が見つかり辟易した。

いま書籍を作る仕事をしているのだけど、どれだけ目を皿にして探しても、誤字や修正箇所は見つかる。やってもやっても終わらない。

先輩なんて、本をなんとか刊行してから誤字を見つけてしまったくらいだ。

文字はたぶん生きていて、私たちの目を掻い潜って遊んでいる。そうとしか思えない。

文字たちは書かれたその瞬間から生命を帯び、文字そのものの魂を抱えて、紙の中とさらにその上位の世界に存在しようとするのだ。だから消されることを常に恐れている。そうして生き残った誤字は、私たちを嘲笑っているのだろう。そうとしか、思えない。

 

この、誤字が後から見つかる現象にまだ名前がついていないのなら、「ある作家現象」と名付けよう。

“完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。”

村上春樹の小説『風の歌を聴け』の冒頭で、「ある作家」が放った言葉に由来させて。

この言葉があれば誤字の魔力にも心を惑わされないだろう。