蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

招待状を出した

婚式の招待状を出した。

親族には紙で、それ以外の友人にはweb招待状だ。

親族分だけでも宛名を書くのに苦労したので、その他大勢の友人らはwebにして本当に良かったと思う。

webのが安いし、管理もしやすいし、すでに数名から返答も見られるので、本当に便利だ。ただ、形に残らないということだけが、紙に劣る点だろう。

 

本当は親族も全員webにしたかったのだが、上の世代となるとあまりwebに慣れ親しんでいないこともあり、かえって混乱を招きそうだったので、親族のみ紙の招待状を発注した。

私は昔お習字を習っていたので、こういう宛名書きの毛筆にはその経験が活かされたわけだが、それでも何枚か書き損じてしまい、つくづく文字を美しく書くというのは難しいことだと思い知った。

文字をじっくり書いていると、それがだんだん絵に見えてくる。漢字というものはひとつひとつにストーリー性があり、漢字特有の性格があって、なにか魂のようなものの震えを、筆の先に感じる。

美しく書くということは、なんて美しい行為だろうと、思った。

想いが詰まっていればそれでいいではないかという意見もわかるけど、文字は文字である以上、人に伝えるものであり人が見るものだから、美しくて悪いことなんてない。美しく書こうとすると時間も労力もかかる。その苦労がまず精神的に美しく、その結実として綺麗な字に仕上がっていたほうが良いではないか。せめて、丁寧な字であってほしい。

だから、わかりやすく字が美しい人というのは得だ。

今やスマホですぐに文字を書けてしまうけど、じっくり文字と向き合い、その文字の中に自分の精神を見つめるという時間もあっていい。

流行り廃りの入れ替わりが異常に加速している現代において、その速度に疲れた人たちの間で「あえてスローに生きる」ことが流行るのではないかと思っているので、そうしたら書道がブームになるかもしれない。あえて、手紙を書く、とか。

にしても、親族分だけでも結構面倒くさかったので、デジタルの恩恵も噛み締める。

 

web招待状の返信で、メッセージ欄に「結婚おめでとう」とか「本当に楽しみにしているよ」と書いてくれた人もいて、なんだかそれを見て、今更だけど結婚式へのモチベーションが上がってきた。

私たちを祝福してくれて、晴れの日を楽しみにしてくれている人たちが、確かにいるのだ。

誰からも返信がなかったらどうしようなんて思っていたけど、そんなことはなかった。

みんなに会えるのが楽しみになってきた。