蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

魅力的な悪役

『ジョジョ・ラビット』という映画をAmazonプライムで見た。

第2次世界大戦下のドイツの少年の、優しい世界とシリアスな世界を交互浴に映し出したような映画だ。面白くて笑えるところもあるし、シリアスにドラマチックなところもあり、戦争ものらしい悲劇であり、極小世界のラブストーリーでもあって、かなりテンポが良くておもしろかった。

なかでも良かったのが、秘密警察(ゲシュタポ)が少年の家を訪れるところだ。

少年はユダヤ人の女の子を屋根裏部屋に匿っている。

そのことをどこで嗅ぎつけたのか、ゲシュタポが突然やってきて、家宅捜索を始める。

このゲシュタポの描写が良かった。

 

「悪役」というものを「主人公にとって都合の悪い者」とするならば、この映画における悪役は、ヒトラーでも職場の上司でも、ユダヤ人でも戦争状態という時代そのものでもなく、このゲシュタポだといえるだろう。

ゲシュタポの中心人物は2メートルちかい上背があり、猫背で、目がギラギラしている。

だけど暴力的ではなくて語り口は温厚ですらあり、きわめて合理的で、捜査をする仕事柄どんなに細かいことも見逃さない冷たい目をしている。バキりと開いた眼(まなこ)は暗く、釣り上がるような笑顔は猟奇的で、背筋がゾッとする。

青白い肌に大きくかぶさった制服は曇り一つない影そのもののような黒だ。

コートの脱ぎ方や帽子の外し方、ハイル・ヒトラーで差し出された右手の形から、どうにも神経質な印象を受ける。

家具をしっちゃかめっちゃかにひっくり返したり、ガラスを割ったり、壁に穴を開けたりするわけではなく、決められた場所をきちんとチェックして、なるべく損壊を与えないように確認するその配慮の行き届いた感じとか、『「ユダヤ人が潜んでいる」なんて通報を受けて行ってみたら巨大なカビが生えていただけだったなんてよくあることなんですよ』、なんて「仕事あるある」の世間話をして、チェックを受けている間も退屈しないようにしている感じとか、なんていうかすごく「仕事として家宅捜査することに慣れている」印象を受ける。

ここで突如家にやってきた「悪役」は、悪と決めかねるほどに凡庸だ。

やるべきことをやっているだけなのだ。

秘密警察といえばもっと暴力的で、主人公を蹂躙しそうなものだが、この映画における悪役は、言ってしまえばどこにでもいそうな凡庸さで、与えられた任務に誠実な役所仕事でしかない。

だからこそ怖い。

抜け目がないし、物語的な都合の良い展開なんてこの後ないんじゃないかと思わせる。

彼にまとわりついているのは悪役を突き動かす悪の心とか狂気や憎悪ではなく、その当時のドイツ人のほとんどが持ち合わせていた(主人公も抱いていた)ヒトラーへの忠誠心であり、真面目な公務員としての仕事への情熱なのだ。

ここで殴っても改心するわけじゃない。

良心に訴えかけても意味がない。

暴力ではなくその佇まいで絶望感を与えるこの悪役としての演出は見事だった。

 

このゲシュタポが見られただけでも、この映画を見て良かったと思った。

さて、主人公はこの局面をどのように切り抜けたのか、あるいは切り抜けられなかったか、どうかは、あなたの目で確認されたい。