蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

一粒万倍

事で、ほとんど事故みたいなものだけど、それでも防げたミスがあって、怒られはしなかったし、相手も腹を立てなかったし、いろいろと巻き込みはしたけど結果なんとかなったことがあったのだが、でもやっぱりそれなりに落ち込んだ。

私が入社してすぐくらいの仕事のミスが今になって発覚し、その原因も前の人からの引き継ぎミスが主な原因だったのだが、でも、私が確認をしていれば防げたことだった。

今後の改善点とするとして、飲み込むしかない。まだまだ伸び代があるということを喜ぼうじゃないか……。

そう思ってもショックなものはショックだ。

表には出さないけど気分が落ち込んでいて、なんなんだおれは、と自己否定に走っていた。

やるべき仕事はかなりたくさんあり、どれから手をつけたらいいのかも見当もつかない。闇雲で、カオスで、猥雑で、まるで『羅生門』みたいな様相だ。

ため息もつきたくなる。

 

だが、そのあと、あることがきっかけで気分が一転した。

別件で別の担当者から、私の仕事の出来について「とてもよい」といった言葉をもらえたのだ。

それはちょっとした「褒め」だったかもしれない。担当者からすれば、ふと言葉にしただけのものだったかもしれない。

だが、私にとってはその一粒が、暗雲を吹き飛ばしてくれた。

視界の彩度が上がった。

単純なもので、それから目の前の仕事をどう整理するか組み立てられたし、いろいろと物事を順序立て、いくつか仕事にカタをつけることもできた。明日は早く帰れるだろう。湿った暗い森から、一面の花畑に出てこられたような気分だった。

たった一言だったけど、その「褒め」が私の心を支えてくれた。

言葉はどれだけ小さくても、ある時においては太陽のように力を持つものなのだと実感した。

 

言葉は大切にしなきゃいけない。

やるべきことが多すぎる

ゃんと生きるためには、ちゃんとやらなければならないことが山積みになっている。

ありとあらゆる情報が氾濫し、それらを整理し、自分のやるべきこと、これから起こる変化、影響を把握せねばならない。

仕事でも、生活でも、勉強でも、全部そうだ。

それに加えて、予期せぬことが起こるとそっちに気を取られて、計画がまるで回らなくなっていく。

財布はレシートで分厚くなり、靴はいつまで経っても汚れている。いくつかの公的な書類は封筒から出されずに放置され、言葉はすれ違う。

先のことを考えると嫌になるので、もうなにもせずに部屋の隅だけ見て暮らすのが最も楽なのだけど、それをやると気が狂うのが、人間の面倒臭いところだ。

ある程度忙しい方がいいし、やることがまったくないよりかは、なにかに神経を注いだ方が生きてる感じがするものだ。

うつ病になると、なにかをやる気が起きなくなるらしく、目を開けたまま寝たきりになったりすると聞く。

たぶん、なにかに神経を注いで作業をした方が心も休まると思うのは私だけだろうか。まぁ、それができないから うつ病なのだろうけども……。

ひとりでも多くの患者の心が救われることを願っている。

 

話が逸れてしまったけど、とにかく人生において、生活の小さいレベルで、やるべきことはかなり多い。

それもそのほとんどのものが、煩わしい。

人生はその積み重ねで、死とはその煩わしさからの解放なのかもしれない。

死んでからもそういったやるべきことがたくさんあるのだとしたら、私たちはどこに救いを求めればいいのだろうか?

死後の世界には煩わしいものなんてひとつもなく、強制されない純粋で無意味な労働があり、川の流れや雲の動きを楽しむ余裕しかなく、終わりというものはどこにもないのだろう。

こうやって死後の世界のことを考えるようになったら、自分が今、忙しくてあまり余裕がないときだと判断できる。思考の指標だ。

 

ガーシーを擁護しているのではない

ーシー議員が国会議員から除名されたことを受けて、驚きもしなかったし、意外と国会は優しいのだなとも思ったくらいだった。

昨年末あたりで除名してよかったくらいだ。でも国会は猶予を与えてやったし、謝れば許してやるよ、的なことも宣告していた。

ガーシーとしても、なんかノリで選挙に出たらまさかまさかの票が集まってしまって議員になってしまった、くらいの感じだったのだろう。本当に議員になりたくて、この国の政治に携わりたかったら、帰国をしていたはずなのだから。なんとなくのノリでやってないと、こうはなるまい。

私も中学生のとき生徒会長をやっていたのだが、完全にノリだったので気持ちはよくわかる。「おれが会長になったら、おれの気持ちというものはどうなるのだろう」という漠然とした好奇心だった。無責任極まりない。

結果はガーシーと似通ったもので、別にどうともならなかったし、面倒なことは増えたし、「なんでお前は勉強のできない馬鹿のくせに会長やってんだ?置物みたいなもんだし」と表では言われ、陰では「内申点狙いに違いないよ。馬鹿で成績が取れないから」ときっちり言われていたので、ネットで叩かれてるガーシーとほぼ同じと言っていいだろう。

そういうことを言ってくる人たちに対して「内申点なんてどうだってよくて、単純に自分の内面の興味のためにやってる。こういう状況を楽しむためにやってる」と説明しても納得してもらえない。

ガーシーだって同じだろう。ましてや、国会議員なんて税金のかかる生き物になったのだとしたら「単なる興味で」なんて説明は口が裂けても言えるまい。

すこし同情するし、私みたいになんとなくで生きてる人間はいずれこういった無責任な結果を招く運命にあるのだとも思った。

反省した。

だから問題は、ガーシーではなく、ガーシーみたいな人間に投票をした馬鹿どもだ。

 

ガーシーの除名に関するニュースのコメント欄ではおおむね、やっとか、とか、妥当な判断だ、といった意見でまとめられており、政治コンテンツには珍しく意見の対立がなくて「平和」なのだが、一部に面白いコメントがある。

ガーシーを擁護する信者たちである。

「たしかに除名は仕方のないことかもしれない。でも今回の国会の対応で、国会というシステムそのものの問題点を浮き彫りにできたことは大きく、ガーシーに投票をした価値があった。よくやったよ」

「でも、この騒動があってこそ、若者が政治に興味を持つきっかけにもなったんじゃないかな?」

可笑しくて、ゲラゲラ笑ってしまう。

この人たちの言葉の裏にあるのは、ガーシーへの擁護ではなく、自分の擁護なのだ。

どう考えてもまともではない人間に国民の権利たる一票を投じてしまった愚かな自分の判断を、擁護しているのである。

どうせさもしい人間ばかりだから、自分を反省するのでもなければ、自分を真正面から擁護するわけでもなく、その反転としてガーシーを擁護しているっぽい言葉を出しているのだが、頭の悪いのが露呈していて、馬鹿が丸見えである。

決めつけているようで、偏見まみれで申し訳ないけど、でもたぶん、間違っていないと思う。

 

「こんな人を信じた自分が馬鹿だった。目が覚めた」と反省できるようなら、ガーシーに投票するような人間にはならないだろうから、自明の理として、ガーシーを擁護しているっぽい言葉しか出てこないのだろう。じつに人間らしくて愛らしいじゃないか。

「なんとなく生きてる」を極めてしまって「何もない人間」になってしまったら、自己反省ができるわけがない。反省を「自分自身の拒絶」と捉えているうちは到底無理だろう。

だから過ちを続けるし、どんどん人間性が空虚になって、他人のプライベートを切り売りして金を巻き上げる男に夢を見てしまうのだ。自分で考える能力もないからしょうもない他人に夢を託している。

反省を促す価値もない。

 

自分の考え方や行動も見直す機会になったので、ガーシーの騒動は良かったと思う。

ガーシーを擁護するわけではないけど。

泥水をかぶって生きろ

京では午前中に雨が降った。

お昼ご飯を食べに会社を出た15時頃はもう止んでいたけど、アスファルトはしっとりと濡れて、春のにおいを漂わせていた。

私の日課は食後のお散歩だ。

昼食の牛丼などをほとんど噛まずにドカ食いして呑み込むと、あとは40分ほど時間をかけて会社一帯を散歩する。隣駅や観光名所に行ってみたりもする。

散歩することで午前と午後の頭が切り替わるし、無心に歩くことで思考が整理されて、午後の仕事も眠気まなこを擦って、捗らない。

それなりに歩くので疲労するのだ。

疲労はともかく、ほどよいリラックスになる。

 

今日も今日とて、雨上がりの街を歩いていた。

桜の蕾がかなり膨らんでいて、今にも破裂して咲き誇りそうである。ジッとしているはずの樹木が、震えるように生命力を昂らせている。

ああ、いいな。たしかに生きてるんだな、尊いな、と遠い目をしたその時、傍を走行したワゴンRが水たまりにつっこみ、しぶきをあげ、泥水が私の外套へしたたかに飛びかかってきた。

冷たい。泥水。

咄嗟に、走り去っていくワゴンRに中指を立てた。

意外だった。

私はこういうとき、怒りに任せて中指を立てたりするのか。

クルマは颯爽と走り去り、水たまりの傍らに立ちすくむ私だけが残された。

幸い、そんなにひどい泥水ではなかったし、シミにもならずに済んだが、いやはや、心に受けたダメージたるや。

あるいはこのとき私が春に思いを馳せて風雅な気分になっていなければ、話は別だったかもしれない。人類を憎み、子どもを売りさばくことを考えている猖獗(しょうけつ)な輩であれば、泥水を被るくらいなんてことなかっただろう。

一体、私はあらゆる水のなかでも、汚水というものがいちばん嫌いなのだ。

あの水たまりにはおっさんの吐き出した血痰が溶けているかもしれない。なんらかの、おぞましい菌がいるに違いない。少なくとも、1年に2回しかお湯を交換していない大浴場並みには汚いだろう。

帰ったら洗濯しなければ。

 

それにしても、こういう水を被ることなんて、マンガの中のことだけだと思っていた。

 

 

仕事か、家庭か

曜日はいろいろと悪いことが重なってしまい、家に着いたのは午前0時前だった。

それでも仕事が終わったわけではなかったので、いくつか持ち帰ってきた。

こんな状態だけど充実した気持ちがあって、そんなに苦じゃないというか、まぁしょうがないよね、という気分に満足感すら覚えていたのだが、家にいた妻は違ったようだ。

「まだ入社半年なのにこんなのおかしいって」

私のいる会社がブラックなのではないかと指摘をしてきたのだ。

そう。

正直言って、ブラックである。固定残業代だし。

でもそれは、この業界そのものの体質というか、業種的にどうしても手を動かさないと仕事が終わらないという側面があって、しかもそれを他の人が助けることはできないので、とにかくやるしかなくて、結果として時間外労働をせねばならない状態に陥るのである。

時間外労働を強いられたらそれは大きな問題だと思うが、私の場合は自ずからそれをやってしまっている。

だから苦じゃないし、入社する前からこうなることは予想していて、覚悟を決めていたから、自分の決定に対する責任だと思うし、だいいち、私はこの仕事が好きなのでなんら問題ない。

でも、私の労働時間が伸びることで、妻には家事の負担をかけてしまっているし、平日のコミュニケーションの時間が大幅に減ってしまったのも事実だ。

妻に言わせれば、家での時間が減ったのになにやら充実した顔つきで帰宅してくる私に苛立ちも覚えるという。

妻は自身の仕事に対してそんなに積極的に好んでいるわけではなく、やりたいことをやっている私がすこし鼻につくらしい。

じゃあやりたいことをやればいいじゃない、と伝えたが、やりたいことなんて別にないらしい。

ただ、夫婦の時間を大切にして過ごせればそれでいいのだと言う。

からしてみれば、私は自分のやりたいことに身を注いで家庭を蔑ろにしているように見えるのだろう。

たしかに、言われてみれば、そうだった。

 

身近にこういう例がいた。

祖父だ。

祖父は映画のプロデューサーをやっていて、ほとんど家に帰らなかったらしい。その結果、家族(私の母)からの信頼を失い、自分の妻の死に目にも会えなかったばかりか、息子とは不仲になり、最期は団地の一室で癌と闘いながら孤独に過ごした。

父もそうだった。

仕事ばかりで遊んだ記憶があまりない。土日も家にいなかった。父の場合は、不倫もしまくっていたので祖父と同じくくくるのはすこし違うのだが……。

 

家庭を蔑ろにしているわけではないけど、比重が仕事に傾きつつあるのは事実だし、現に妻との時間を失いつつあるのは問題である。

今後、もしも子どもができたとしたら、子どものための時間も確保できないだろう。

私は家庭を顧みない親として子どもにとっての悪者に成り果てるのだろう。

反省した。

でもどうすればいいのだろう?

時間の使い方を整理して、残業は遅くとも2時間までとし、あと家でできる分は持ち帰ってやるしかないだろうか。でもそれも結局は……。

なにかしらの対策を講じなければならない。

私はなにも犠牲になどしたくない。

12歳の震災

が12歳の頃といえば、あのとき何を考えて生きていたかなんてまったく覚えていないくらいに茫漠漫然としていてほとんど定かではないのだけど、ひとつだけ明確に覚えているのは当時から「算数の授業は嫌いだったこと」で、とくに前に出て問題を解かされるのが本当に嫌だった。吐きそうだった。先生が生徒を選ぶ際に名前の書かれたマグネットのカードをトランプよろしくシャッフルし、一枚抜き取って黒板に貼りつけ、そこに名前の書かれている子が前に出なければならなかった。吐きそうだった。

どうすればできるだけ避けられるのか、ひじょうによく考えた私は、自分のマグネットカードの四つ角を丸く切りそろえてみた。他のカードよりも小さくしたのだ。ほんの少しだけ。

そんなことではたして効果はあったのか?

ひとつだけ言えることがある。

私が小学6年生の算数の授業で学んだことは「マグネットを小さくすれば絶対にあたらない」ということだけだ。

 

12歳の頃なんてそんなもんだった。

自分が生まれた年、1995年に何があったかなんて教科書とか大人の話でしか知らなかったし、知っていたとしてもうまくイメージができなかった。

阪神淡路大震災地下鉄サリン事件

この二つは今だってよくわからない。知っているけどあくまでも自分が生まれた年の出来事というだけで、教科書に載っている現代社会の歴史の一項目なのだ。

今12歳の子どもたちにとって東日本大震災は、教科書の1ページや毎年この時期になるとテレビで取り上げられる話題に過ぎないのかもしれない。とくに被災地には住んでいない子どもたちにとって。

12歳の私にとって1995年はかなり昔のように思えて、自分とは関係のない世界の出来事だと思い込んでいた。

大人になった今、12年前の出来事はついこの間のことのようで、時間は連綿と続き現在に至っているということを実感している。

私が遠い過去だと思っていた12年前は、こんなにも近い出来事だったのだ。不思議な感覚に陥る。

 

震災関連の動画を見たりすると、あまりの恐怖に身がすくみ、涙が出てしまう。

ドキュメンタリー番組を見ると、癒えようのない痛みを抱えた人々の境遇に胸が締め付けられる。

でも、そのときに流した涙も、胸の苦しみも、「お前は被災をしていないのだから」と言われているような気がしてくる。

安易な同情も、祈りの言葉も、涙でさえも、私から流れ出る権利はないように思えるのだ。

そしてこう書くと、被災された人に「そんなことないよ」と言ってもらいたいみたいで、私が救われたいみたいになってしまって、嫌だ。

ここまで書いたことのなにもかもが独りよがりでみっともない。

とてもとても、実際に被災された方たちにかける言葉も、向けられる感情も、私には持ち合わせられないのだ。

 

でもせめて、世間では確実に風化し、人の流れが変わり、子どもたちが震災を知らなくなっていく今、毎年この日に悲しみに向き合うことが、せめてもの鎮魂になると信じたい。

本当は出汁を食べたいだけでは

んにゃく、いいですよね。

おでんとか、豚汁なんかに入ってて。

こんにゃくは包丁で等間隔に切るよりも、スプーンで抉って不揃いにするのが好きだ。荒さを出したほうが表面積が大きくなるので味も滲みやすくなるらしい。

 

こんにゃく、ところで、「味わった」ことありますか?

口に頬張るところを想像してみてください。

ちがうよ。ちがう。

だめだね。

今想像したのは「おでんに入ってるこんにゃく」ではなかったですか?

おでんの出汁が滲みて、熱気をこもらせたこんにゃくを頬張る想像をし、ああこれがこんにゃくの味だよナ、と勘違いをしたのではないですか?

でしょう?

これがこんにゃくメンタリズム。

いいかい。

それは、明確に、間違いなんだ。

あなたが想像したのは「こんにゃく」の根源的な味ではなく、「おでんのこんにゃく」でしかない。

私が求めているのは「こんにゃくの味」だ。

本体そのものの味を思い出せと、言っている。

そしてそれが不可能であることを私は知っている。

 

こんにゃくに味なんてない。

あいつは食感に100をかけている、頭のおかしいやつなんだ。受験生なのに世界史しか勉強してないみたいなもんなんだ。

だから、こんにゃくゼリーなんてものが製造されるのだ。

「食感さえこんにゃくになっていれば、こんにゃくと名乗っていいよね」

そんな舐め腐った態度をこんにゃくゼリーからは感じる。でも、この意見は正しい。

なぜならこんにゃくに味わいなんてものは最も縁遠いステータスであり、もしも仮にこんにゃくに味わいが存在したら、こんにゃくゼリーの葡萄味なんて存在し得ないし、他の商品でも「こんにゃく味」の食べ物があって然るべきであるのだから。

それが無いということはつまり……。

 

じゃあこんにゃくとはなんなのか?

食感である。

食感であり、出汁を吸収し熱を保蓄する媒体としての「メディア」である。

出汁、美味しいですよね。あれだけずっと味わってたいみたいなことある。

熱もいい。温かい食事ってそれだけでありがたいもんだ。

これらの恩恵をなんとか物体としてこの世にとどまらせ、固形物として口に含むことができる形にしたもの、それが「こんにゃく」という媒体(メディア)なのだ。

だからこんにゃくに食感もなく、蓄熱効果もなかったら、それはもうクソ以下の何かだ。そんなものがこの世にあるのかは知らないが。

こんにゃくの刺身。あれも酢味噌を食べたいだけ。本当のところ。

おでんとか味噌汁とか刺身とか煮物とか、こんにゃくはそのすべてにおいて味の仲介者なのだ。

 

あと、今からちょっとすごいこと言うけど、ぶっちゃけさ、「味が滲みたこんにゃく」って言うほど滲みてなくないですか?

1日2日置いたくらいじゃ味は滲みわたらなくないですか?

こうなってくるともう、こんにゃくは熱と食感だけの存在になり、食べる価値としては「あえて食べてるよ」という精神的な可笑しさのみになってくる。

こんなことがあっていいのだろうか?

時代に迎合していない。淘汰されても文句は言えまい。