蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ガーシーを擁護しているのではない

ーシー議員が国会議員から除名されたことを受けて、驚きもしなかったし、意外と国会は優しいのだなとも思ったくらいだった。

昨年末あたりで除名してよかったくらいだ。でも国会は猶予を与えてやったし、謝れば許してやるよ、的なことも宣告していた。

ガーシーとしても、なんかノリで選挙に出たらまさかまさかの票が集まってしまって議員になってしまった、くらいの感じだったのだろう。本当に議員になりたくて、この国の政治に携わりたかったら、帰国をしていたはずなのだから。なんとなくのノリでやってないと、こうはなるまい。

私も中学生のとき生徒会長をやっていたのだが、完全にノリだったので気持ちはよくわかる。「おれが会長になったら、おれの気持ちというものはどうなるのだろう」という漠然とした好奇心だった。無責任極まりない。

結果はガーシーと似通ったもので、別にどうともならなかったし、面倒なことは増えたし、「なんでお前は勉強のできない馬鹿のくせに会長やってんだ?置物みたいなもんだし」と表では言われ、陰では「内申点狙いに違いないよ。馬鹿で成績が取れないから」ときっちり言われていたので、ネットで叩かれてるガーシーとほぼ同じと言っていいだろう。

そういうことを言ってくる人たちに対して「内申点なんてどうだってよくて、単純に自分の内面の興味のためにやってる。こういう状況を楽しむためにやってる」と説明しても納得してもらえない。

ガーシーだって同じだろう。ましてや、国会議員なんて税金のかかる生き物になったのだとしたら「単なる興味で」なんて説明は口が裂けても言えるまい。

すこし同情するし、私みたいになんとなくで生きてる人間はいずれこういった無責任な結果を招く運命にあるのだとも思った。

反省した。

だから問題は、ガーシーではなく、ガーシーみたいな人間に投票をした馬鹿どもだ。

 

ガーシーの除名に関するニュースのコメント欄ではおおむね、やっとか、とか、妥当な判断だ、といった意見でまとめられており、政治コンテンツには珍しく意見の対立がなくて「平和」なのだが、一部に面白いコメントがある。

ガーシーを擁護する信者たちである。

「たしかに除名は仕方のないことかもしれない。でも今回の国会の対応で、国会というシステムそのものの問題点を浮き彫りにできたことは大きく、ガーシーに投票をした価値があった。よくやったよ」

「でも、この騒動があってこそ、若者が政治に興味を持つきっかけにもなったんじゃないかな?」

可笑しくて、ゲラゲラ笑ってしまう。

この人たちの言葉の裏にあるのは、ガーシーへの擁護ではなく、自分の擁護なのだ。

どう考えてもまともではない人間に国民の権利たる一票を投じてしまった愚かな自分の判断を、擁護しているのである。

どうせさもしい人間ばかりだから、自分を反省するのでもなければ、自分を真正面から擁護するわけでもなく、その反転としてガーシーを擁護しているっぽい言葉を出しているのだが、頭の悪いのが露呈していて、馬鹿が丸見えである。

決めつけているようで、偏見まみれで申し訳ないけど、でもたぶん、間違っていないと思う。

 

「こんな人を信じた自分が馬鹿だった。目が覚めた」と反省できるようなら、ガーシーに投票するような人間にはならないだろうから、自明の理として、ガーシーを擁護しているっぽい言葉しか出てこないのだろう。じつに人間らしくて愛らしいじゃないか。

「なんとなく生きてる」を極めてしまって「何もない人間」になってしまったら、自己反省ができるわけがない。反省を「自分自身の拒絶」と捉えているうちは到底無理だろう。

だから過ちを続けるし、どんどん人間性が空虚になって、他人のプライベートを切り売りして金を巻き上げる男に夢を見てしまうのだ。自分で考える能力もないからしょうもない他人に夢を託している。

反省を促す価値もない。

 

自分の考え方や行動も見直す機会になったので、ガーシーの騒動は良かったと思う。

ガーシーを擁護するわけではないけど。