蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

古本のススメ

 で古本屋を見付けるととりあえず立ち止まって、店の前のワゴンに売り出されている本を物色することにしている。

 

 古本、とくに文庫古本は安く気軽に買えるからいい。100円200円で買える。

 新品の本だと読む気もなかった本でも、古本で売っていれば「100円なら買ってみるか」という気になって、ついつい買ってしまう。

 

 

 古本はなんだか味わい深い。

 ぼろぼろなところなんてビンテージものみたいで痺れる。

 なにか古い書物を読んでいると、賢くなったような、学者先生的な気分になって気持ちがいい。旧字体で書かれていると読みにくいが、そこがまた「周りとは違うんです」感あって良い。

 腐りかけの本のにおいが、なぜか郷愁を抱かせる。

 そのにおいに、深層心理の「田舎のおばあちゃン家」が紐づいて泣きたい気持ちになる。

 

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 昭和25年発行、新潮文庫版の『坊っちゃん』である。

 終戦から5年後の世で読まれた古本だ。旧字体なので『坊つちやん』となっているところが歴史を感じさせる。

 

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 開いてみると、さっそく汚い

 原因不明のシミが全ページに渡ってあますことなく、ふんだんに散りばめられていて、ときどき文字が読めないくらい酷いページもある。

 だけどそれがいい。それでいい。

 古い本で古い物語を読むと、まるでそれが書かれた時代の舞台となった明治時代に近付いたかのようなロマンスが生まれる。

 

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 岩波文庫『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス著

 

 世界史の教科書内でよく知られた本だが、じっさいに読んだことのある人は少ないのではなかろうか?

 私だって、新品でこの本を買おうとは思わない。だけど古本屋に置いてあれば「おっ、教科書で見たことのあるやつだ。ちょっと買ってみるか」という気になって気付けば読んでいる。なんてったって安いのだ。

 古本というものは、新品の本では手を出しにくかった本を読む機会を与えてくれる。

 

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 ほどよく日焼けしていて、美味しそうですらある。

 賢そうな本を古本で開くと自分は天才少年じゃないかと錯覚できる。ヌエバエスパーニャについての残酷な歴史も得られる。たぶんなんの役にも立たないだろう。

 

 

 私が持っている古本の中でもとくにお気に入りのボロボロのものはこれだ。

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 靑木文庫『魯迅選集 創作集1』

 表紙だとわかりにくいが、これはかなりボロボロなのだ。

 

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 日に焼けているというよりむしろ焦げてるくらいだ。

 醤油かなにかに半年くらい漬けられていたようにも見える。

 

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 写真だとうまく写らなかったのだが、じっさいはかなりズタズタで、ゆっくりページを開かないと背から裂けていきそうになる。

 また、紙が古くなりすぎているのだろう、なんか粉を吹いていて、読んだあと手がザラザラする。パラパラめくると、鱗粉みたいなものが舞う。くしゃみが出る。この粉のせいで手に発疹ができる。誇張もなくそうなのだからすごい。

 ふつうにページも破けている。栞紐もくたびれきって、ゆるくほどけている。

 

 ワゴンの中でいちばん古かったから買ったのだ。魯迅なんてそんな読まないし、いい機会だと思ったのだ。

 だけどボロボロすぎるし字が小さくて潰れているしシミも日焼けも粉もひどくて読むのに物理的に苦労した覚えがある。

 

 

  ↓

 

 

 古本の魅力はその古さだけではない。

 なかには、以前の持ち主の名残が残っているものもあるのだ。

 

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 村上春樹1973年のピンボール

 こちらの本文には、以前の持ち主が引いたと思われる線がいくつか残っている。

 

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 なぜここに赤で線を引いたのだろう?

 読みながらそう思わずにはいられない。気に入った箇所だったのだろうか?それともレポートかなにかに引用したかったのだろうか?

 

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 なぜだ?

 

 このように、前の持ち主の「読み」の意図に思いを馳せるのもまた楽しい。

 だけど、本に線を引くというのは、私の場合だが、それなりに愛着のある本だという証拠でもある。気に入った箇所に線を引いているのなら猶更だ。

 レポートに使うほど読んだのなら、それはそれで愛着は湧くものだ。大学時代に私が線を引いた本は、たぶん一生手放さないと思う。私の知識を構成する重要なファクターだから。

 

 

 最後に、この古本を紹介して終わろう。

 

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 川端康成『山の音』

 

 所有する古本の中では比較的綺麗だが、これは中にあるメモの数が尋常じゃなくて、

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目次からしてメモが残っている。

 

 驚くべきことに、ほぼすべてのページに線やメモが残っているのだ。

 たぶん、講読の授業で使ったのだろう。あるいは研究者のものかもしれない。

 そのメモを頼りに『山の音』の読みを深めればおもしろいのだが、いかんせんそうもいかない。

 

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 字が汚ねぇのだ。

 解読できない。

 字の感じからして、それなりに年配だったのだろうか?

 

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 らみく える週 

 

 ?

 

 このような乱筆が随所に散りばめてあり、気が散る。

 書いてあることが明瞭なら「ほほう」とでも思えそうだけど、暗号にしか見えない。

 だけど時々読めるものも残されていて、たとえば他の文献の名前が引用されていたり、持ち主だった人のノートのページらしきものが参照されていたりと、興味深い。

 きっと以前の読者は、勉強家だったのだろう。

 

 それにしてもどうして売ってしまったのだろうか?

 売られてしまったのだろうか?

 

 真相はわからない。

 それに知りたくもない。

 

 こういうメモ書きやかつての持ち主に触れると、前世からのもののような不思議な縁を感じるし、本とは人間が読むもので人間が読んできたものなんだな、とロマンに浸れる。

 

 古本は古いものほど味わい深い。