蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ネットリ音声議事録

為なことや嫌なことに遭遇すると、どうして私はまだ生きてるんだろうとか、私はなんのために生きてて、なんのために死ぬことができるだろうとか、そういった漠然とした憂鬱というのかな、ある種の末期の眼でもって諦観すら抱いてしまうことがあるけれど、いちばんそういった状況に陥るのが、オンライン会議でおじさんたちのネットリした音声を聞いているときだ。

 

私はなにが楽しくておじさんたちのネットリ音声をイヤホンで真面目に聞かなければならないのだろう。

 

おじさん(先輩や上司)たちはイヤホンマイクに、ときどき吐息を混ぜながら、言葉を選んで、ゆっくり、しっかり、丁寧に、ときどきお茶目に、言葉を吹きかける。

それは「ねっとり」でも「ネットリ」でもなく、「ネットリ」が表現として適している。

イヤホン越しに、おじさんの息が耳にかかるようで、ひじょうに、なんていうか、不快だ。

おじさんたち(先輩や上司)は何も悪くない。

だけど私だってなにも悪くないのだ。なにも悪くないのになぜこんな仕打ちを受けねばならんのかわからない。

 

じゃあイヤホンしなければいいじゃん、と何も知らないあなたは言う。無知を恥じなさい。

弊社は業務の都合上、在宅ワーク組と出社組に分かれている。

会議メンバーには在宅組も出社組もいるからオンラインで開催せねばならないのだ。

ひとつところに集まって会議ができれば楽なのだけど、だいたいこの状況下で会議室に集まって口角泡を飛ばすのも不都合だから、たとえ会議メンバーが全員出社していてもオフィスの離れたところに散らばって、オンラインで会議をすることになっている。これは明文化され、ルールとして定着している。

オフィスには人数は少ないけど私以外にも人がいるわけで、パソコンのスピーカーから会議音声を垂れ流すわけにもいかず、そういうわけでイヤホンをせざるをえないのだ。

 

 

耳元に、イヤホン越しに上司の息がかかる。

共感覚って言うのかな、息が耳にかかると、記憶の底にある加齢臭の引き出しが開いて、鼻の奥で加齢臭の幻嗅を覚える。

ねちゃりと唇の触れ合う音がする。

齢を取るとそうなるのかわからないが、痰の絡む音がする。

低音域をカバーした、立体音響を楽しめるやや高価なイヤホンにすると最低のASMRになってしまうので、iPhone付属のチープなイヤホンにしているが、それでもこれだけ気持ちが悪い。

 

ああ、私は、一体、なんのために……。

だんだんそういう気分になって塞いでくる。

 

いつか私も存在するだけで醜悪な「おじさん」になってしまうのか。そう思うとさらに気分は塞ぎ、会議の内容は頭に入らず、よりネットリに意識が向いてしまうのであった。

負の連鎖。

 

やくしまるえつこ みたいな声の上司、緊急募集しております。