寝室から叫び声が聞こえた。恋人だ。
彼女は狼狽してリビングに来て、震えながら言った。「足元に、なんか、動いてるのいて、ふわってかすめたの。蛾。蛾よ。蛾」
春だ。
やれやれ。私はティッシュを二枚持つ。
蛾は必ず殺さねばならない。
蛾は場合によっては最も苦手な虫だ。
「場合」というのは大きさのことで、つま先くらいの大きさならさして問題ではないのだけど、翅を広げると手のひらくらいの大きさになるやつは、ちょっと無理。かなり無理。相当無理。
太い胴体が無理。中になにが詰まっているのか考えると無理。体液の色を考えてしまうと本当に無理。ヒー。体が引き攣っていく。
だいたい「蛾」って、その言葉から察するにまったく愛されていない。
「ガ」という音には愛らしさとか温もりとか優しさとか包容力とか、そういった「陽」の雰囲気がまったく無い。どちらかというと、毒々しさや痛々しさ、拒絶と混乱といった「陰」の響きである。
蛾の見た目が愛らしかったら親しみを込めてもっとファンシーな名前を付けていたはずなのだ。たとえば私だったら「チュープラン」とか「ファルサコス」とか「雲遣い」とか付けちゃうな。いくらでも考えられたはずだ。
結局、「ガ」になったということは、名づけのときから人類の心理の底でこの虫に対する嫌悪感があったということだ。
蛾好きの皆さん、すみません。これから私は蛾を殺します。
ともかく寝室へ向かったが、蛾はすでにそこを後にして、洗面所へ身を潜めていた。
なかなかの大きさ。3~4センチくらいか。翅を広げたらもう少し大きくなるはずだ。
蛾も怯えきっていて、虫に表情などないけれど、今にも泣きそうに震えているのがわかった。
可哀相、と少しは思う。できれば逃がしてやりたいとも思う。
しかし、素手ではとても触れないし、外へ誘導することもできない。蛾に言葉は通じないから。
殺すしかない。
私はティッシュを重ねて蛾に静かにかぶせ、上から握りつぶした。
感触も、体液の冷たさもない。ティッシュが潰れる虚しい音の中で蛾はこの世を後にした。殺した感触もない生き物。2秒、黙祷。しょうがない。私たちの領域にはばたいたのが運の尽きだったのだ。
かくして「処理」を終えたわけだが、本当の恐怖が葬られたわけではない。
風呂の窓は網戸がついていて隙間はないし、換気扇の網目を越えられるほど小さな蛾でもなかった。部屋の窓も開けてない。
さて一体、蛾はどこから侵入したのか、皆目見当もつかない。
一匹葬り去ったところで、原因がわからぬうちは常に恐怖にさらされるのだ。
あの夜からずっと、背後で羽ばたきが聞こえる気がする。